〜西欧家庭料理〜 洋食レストラン |
カ ン ト リ ー キ ッ チ ン Country Kitchen |
http://country-kitchen.pro.tok2.com/ TEL 0568−33−3345 |
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チャリンコ日本一周に向けて、旅立ち | ||
日本最北端到着証明 59.5.31 |
日本一周終了後に作ったポストカード |
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旅を終えて | ||
1984年、4月15日、大学生活4年を終え、一単位を残し計画的留年し休学に入る。 小学生のころから念願の自転車での日本一周に旅立つ。 所持金が無いので、野宿と夏から秋にかけて北海道で旅と、アルバイトの日々。 (旭川YH・狩勝高原SLホテル・国民宿舎旧大雪荘)多くの友人や、知人ができ、その後の人生において多くの関わりを持つ事になるとは・・・。 1984年、12月30日、無事旅を終える。 |
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その後 | ||
その後、大学の戻り、バイトしながら卒論〔マーケティング論〕を仕上げて無事卒業。 名古屋のレストランの厨房に入り、コックの修行を開始し、数年後「調理師免許」取得後移住 北海道に移り住み、数年。コックやログビルダー、風景写真撮映、冬はスキーの毎日(山岳スキーでは、遭難もしかけたりする) 北海道の生活を満喫。 ニセコのログビルダー・初代比羅夫「駅の宿」オーナー大倉夫妻。サホロのロッジ「あるぷ」永井オーナー。自転車日本一周の大先輩、札幌の理容店「ミスターバイシクル」小山田オーナー。札幌の伊東さん。山岳スキーの醍醐見を教えていただき中国で京大山岳部学術調査隊として、遭難死された自由人医師、故清水氏。単独行の登山家、故長谷川恒男氏。テレマークスキーを教えていただいたヒラフの雪山山荘山本オーナー。コテージ赤ゲラの赤前オーナー夫妻。旭川YHの谷口オーナー。他、多くの方にお世話になりました。 この場を借りて、お礼を申し上げます。 愛知県に戻り、ログビルダーやコックをしながらお店を出す準備に入る。 縁有って現在の勝川の物件を紹介され、名古屋から近く、駅から歩けて、通りの静かなところで、5年後には駅が開発されるという将来展望が気に入り店づくりに入る。 しかし、いまだに開発は途上であり、バブル期の計画破綻の影響あり? |
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カントリー・キッチンオープンに向けて準備 | ||
1990年、7月伊賀上野にて、知人の協力を得て丸太を競り落とす。 山で間引きする間伐材を使いました。材木関連の方はあまり使いたがらない材木ですが、結構迫力もあり、お値段も安く良い物です。 家の内装をログハウスになんて考えておられる方でしたら、参考になさってください。 このような木も、もっと使われると日本の林業の生き返るのではないかと想います。 |
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まずは、木材から | ||
岐阜県武儀郡武儀町平成のログサイトに運び込む。 このログサイトは、 お世話になった、名古屋のログハウスメーカー「夢木香」の全面協力によるものです 夢木香ホームページ http://www.yumekiko.com/ |
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木材準備 | ||
丸太のカービング(皮むき)から始まり、 ログのカット、仮組みへと進む。 北海道にて出会った旭川YHの元ヘルパー仲間達が、 手弁当にて週末には手伝っていただいた。 〔同じ釜の飯を食った連中はありがたいものです。〕 |
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店舗施工準備 | ||
←前面入り口の部分。「ピース・エンド・ピース工法」 外のテラス部分、カウンター部分、テーブルは、「サドルノッチ工法」 |
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店舗施工 | ||
前店舗の喫茶店を居抜きにて権利を購入し解体。 8月、いよいよビルトイン(組み込み)開始 9月、水周り、ガス、電気と共に内装を作り上げて行く。 |
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1990,10月23日(大安) 人知れず静かにカントリー・キッチン開店 | ||
お店つくりを手伝ってくれた旭川YHの元ヘルパー仲間達と開店パーティー | ||